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「明日への提言」  バックナンバー: 2008年

一身にして二生を経る

森岡清美(成城大学名誉教授)

 「一身にして二生を経るが如し」とは、福沢諭吉(1835-1901)が『文明論之概略』(1875)の緒言で漏らした述懐である。二生とは二つの生涯のこと、今生と後生あるいは前生と今生をいう。前生はこの世に誕生する前の生、後生は死後の生であるから、現在の一身では今生だけしか経験できないところ、前生と今生の二生をこの一身で経験するような人生であると、諭吉は述懐したのである。彼は中津藩士の家に生まれ、蘭・英両語学力で幕臣として出世コースに乗ったが、明治維新以後は仕官せず、慶応義塾を創立して日本の教育・言論・思想に大きな影響を与えた。維新後を今生と把握すれば、それ以前は前生というべき落差のあることを、60歳を超えた晩年の回顧ではなく、早くも40歳で実感していることも注目に値しよう。

 非凡な能力に恵まれた福沢は維新の激変を切り抜けて不朽の名を青史に止めたが、武家の多くは維新の改革によって政治的経済的社会的特権を剥奪され、挫折の後半生を送った。福沢と同世代のそうした悲劇の主人公の例として、津藩三二萬石藤堂家の重臣藤堂式部家九代信成(1831-96)を挙げよう。彼は伊賀上野城内に生まれ襲禄するや士隊將として三千石を食んだ。明治2年(1869)版籍奉還により城内居屋敷を返上し、同11年家禄奉還、収入が絶えたにもかかわらず譜代の家臣たちを離さずまた離れず、座して売り食いの日々を重ねた。家計は急坂を転がり落ちるように窮乏の度を加えたため、活路を求めて大阪の米相場に手を出したところ、見る間に大穴をあけて失産する。かくて同16年頃漸く旧臣を離別し、同17年にはついに約八千坪の本宅を売却して家族離散となった。自らは津の名刹西來寺の伴僧となり、母は実家の久居藤堂家に寄留、家督を継いだ嫡男は失意のなかで悶死し、嫁も零落を嘆きつつみまかり、3歳から6歳の幼い孫たち3人は寺に小僧あるいは他家に養女として引き取られた。本人は同29年7月西來寺灯篭供養の夕べ、点灯中に法衣に引火して焼死した。福沢は変わる時流の潮目を読んで高く飛潮し、藤堂信成は逆巻く奔流に呑み込まれて藻屑と消えたが、ともに一身にして二生を経る思いをかみしめたのである。

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見えない部分を大切に考える研究を次世代に

齋藤 忠夫(東北大学大学院農学研究科 教授)

 私たちの腸管には、沢山の微生物が棲んでいる。研究者によっては、ヒトとこれらの腸内微生物とは「共生」していると表現する場合もある。共生とは、共に足りない部分を補い合って、助け合いながら生きているという意味である。蟻とアリマキ、珊瑚とクマノミなどの共生関係は好例である。

 実際に、ブタなどの飼養実験では、腸内に微生物がいない無菌ブタの方が体重増加率は高く、腸内微生物がブタの腸管内で栄養成分を横取りしていることは事実である。この場合には、腸内細菌は腸管に寄生する「悪者」に感じる。一方では、私たちが少しの食中毒菌を食べても、健康な方であれば食中毒は発症はせず大事には至らない。これは、私たちの腸管上皮細胞で作られ表層に分泌される粘液ムチンに微生物がビッシリと敷き詰められた様に存在し、外来からの有害菌を簡単には寄せ付けず、侵入を許さないためと考えられている。この場合は、腸内細菌は「味方」と化すのである。また、私たちが少々貧しい食事でもビタミン不足に陥らないのも、腸内微生物が各種のビタミン類を多量に生産して供給してくれるからである。この2面性を持つ大切な腸内細菌の中でも、良い菌の代表である乳酸菌が私の研究対象である。

 私たちの腸内には、200種類以上の微生物(腸内細菌)が存在し、その細胞総数は実に100兆個も存在すると考えられている。この数は、私たちの体自体を構成する細胞の数(60兆個)よりも実に大きな数なのである!従って、腸内微生物は私たちの腸内の健康だけに留まらず、私たちの全身の健康を左右すると考えられている。その意味では、日頃全く見えないために考えたこともない腸内細菌は、実は私たちにとってとても重要な存在であり欠くことの出来ないパートナーなのである。

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我が研究の遍歴

塚本 啓祥(東北大学名誉教授)

 私ははじめ医学部への進学を志して、旧制第五高等学校の理科に入学したが、心境に変化を生じて文科に転じた。その翌年学制の改革に遭遇し、新制の大学に移行した。生来、自然科学的思考を好んだ私は、仏教思想の理解のために、その前提として哲学的思考の方法を修得する必要を感じ、西洋哲学(特にギリシャ哲学)を学ぶことにした。

 私は熊本大学の卒業論文において、副島民雄教授(後に九州大学教授)の指導によって、アリストテレスの『形而上学』(Metaphysica)を研究課題とした。トマスはこの書を体系的に組織されたものとして解釈したが、エーガー(W.Jaeger, Aristoteles, Grundlegung einer Geschichte seiner Entwicklung, Berlin 1923)は、ギリシャ語の原典を精査した結果、①アリストテレスがプラトンの影響下にあって師の学説に追従したと思われる修行時代(die Urmetaphysik)と、②そこから独立して彼自身の哲学体系を確立した体系時代(die Entwicklung der Metaphysik)とを画し、相対立する神学(theologia)と存在論(ontologia)を同時に包括する「形而上学」を成立史的に分析することによって、長期に亙って閉ざされた問題(aporia)を解消した。私の卒論「アリストテレス存在論の基礎付けについて」はエーガーの視点と方法に基づいて作成したが、これはその後の私の研究の基礎となった。

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