遠藤 浩正(中央学術研究所客員研究員)
(1)はじめに~東日本大震災のこと
3月11日の東日本大震災から早くも5か月が経った。前号の本欄でも今井正直・日本大学教授が触れておられたが、私もまず震災のことに触れておきたい。これまでにない地震、そして津波の被害に加え、東京電力福島第一原子力発電所の事故による放射能の影響も未だ解決されずにいる。また、この間の政治は混乱を極め、私たちは何をよすがに生活をすればよいのか、不安にかられることがある。
今回の震災で尊い命をなくされた方々のご冥福を心からお祈り申し上げるとともに、酷暑の中、今なお被災地や避難所などで生活をされている方々の御苦労はいかばかりか、と改めて衷心からお見舞いを申し上げる。併せて、被災地の復旧・復興に尽くされるすべての方々に心からの敬意と連帯を表明するものである。
教団においても、尊い信者さんを失い、道場が大きな被害を受けるなど、甚大な人的・物的被害を被ったと伺っている。そんな中、教団職員や全国の信者の方々がいち早く救援・支援活動に動かれ、被災された地域の方々の心のケアを含め、現在も継続的に支援活動にあたられていることに対しても、この場をお借りして敬意を表したい。
3月、余震に怯えながらふと思い返したことがある。平成7(1995)年阪神・淡路大震災の際も私たちの国は大きな苦難と悲しみに包まれた。しかし関東に住む私は、余震に怯えながら生活することの心許なさや1日わずか数時間の停電から起こる不便さに、’95年当時どれほどの想いを致していただろうか。関西にいる友人と、このことについて直接語ったこともなかったが、自分が直接体験してみないと持てない「当事者意識」の希薄さを深く反省している。
そんな中、阪神・淡路大震災を経験された方々が、今回の震災被災者の方に対して発されたメッセージ「必ず復興するから、希望は捨てないで(関西の言葉でいえば「希望は捨てんといてや!」ということになるのだろうか)には、千鈞の重みと心からの励ましや温もりを感じた。「人はやっぱり、どこかでつながってんるんやなー」と改めて感じた瞬間だった。5月の連休に帰った亡父の郷里・石巻市や女川町、石巻市雄勝地区の惨状を目の当たりにしたときに感じた「この街がまた活気を取り戻すまで、一体どのくらいの時間が必要なのか…」という暗澹たる想いは容易に払拭し得なかったが、関西の方々の言葉を信じ、いつの日か必ず復興することを希望とともに待ち続けたいと思う。
もちろん自らがこれからもできることに心を込めて尽くす、という前提において。
その一方で、今回の震災を通して、私たちの住む社会のシステムが、実は脆弱な基盤の上に成り立っていたことにも気づかされることが多かった。携帯電話がつながらないというだけで、家族の安否すら確認できない。新年早々の「あけおめメール」が殺到する時期に「ケータイつながんねえって、不便だよなー」と感じていた程度の認識が、実は大変な問題を孕んでいたことを私たちは身をもって知らされることになった。
ほんの10年ほどの間に、私たちはきわめて高度な情報化社会を迎えたように感じる。その進化のスピードはまさに加速度的であった。しかしその一方で、そうした社会が持つ「脆弱性」に、我々自身も気づかぬふりをしていたのではないだろうか?「大丈夫だよねえ、誰かが、何とかしてくれるよねえ…」と根拠のない保証に拠りながら。
今回の経験から学び、活かすことはたくさんあると考えられるが、そのひとつとして今一度、私たちは「しなやかで強さをもった社会」をどのように再構築するのか、を考える必要がある。それは政治・行政という範ちゅうだけでなく私たち一人ひとりの生き方を含めた振り返りと議論が必要に思われる。
そうした世相を捉えた上で、仏教真理を基盤としてよりよい生き方を指し示し、人々の精神生活に関与する教団として、これまで以上に社会に向けてどのようなメッセージを発信するのか、そのinstitute としての中央学術研究所に大きな期待が寄せられていると考える。このことについては後段で具体的に論じたい。
(2)東海道新幹線を生んだ男たち
さて、ここでは少し違う話をしたい。今年は前述の震災の影響で、さまざまな社会活動にも影響が及んでおり、私の関係している研究会も、当初はこの夏に都内で開催を予定していたが、節電の影響を考慮し、急きょ名古屋市に会場を移して行うこととなった。 先日その研究会に出席のため名古屋に向かい、時間があったので「リニア・鉄道館」を見学することとした。この施設はJR東海(東海旅客鉄道株式会社)が新幹線をはじめとする鉄道の歴史や技術を後世に伝えるため、名古屋市港区の金城ふ頭地区に今年3月にオープンさせた鉄道に関する博物館である。
リニアモーターカーや歴代の新幹線車両(0系、100系、300系など)が展示され、鉄道ファンには極めて楽しい空間である(個人的には「2階建て新幹線」として名を馳せ、JR東海の「シンデレラ・エクスプレス」や「クリスマス・エクスプレス」などのCM にも用いられた100系新幹線電車に深い思い入れがあるのだが、本題から逸れるのでそのことには触れない)。ここの2階「歴史展示室」に、東海道新幹線を生んだ2人の人物、十河信二氏(明治17(1884)年-昭和56(1981)年、第4代国鉄総裁)と島秀雄氏(明治34(1901)年-平成10(1998)年、元国鉄技師長、元宇宙開発事業団初代理事長。平成6(1994)年、鉄道関係者としては初めて文化勲章を受章した。)の業績を讃えるコーナーがある。日ごろ出張に、旅行に何気なく利用している新幹線も、この2人をはじめ多くの人々の労苦によって完成したものであることを、改めて学ぶことができる。
島氏は技師長(当時国鉄の技術部門の最高責任者)として、十河総裁の全幅の信頼のもと、それまでに類のない高速鉄道を安全、快適に運行するシステムの構築に全力を傾けた。
若い技術者たちを督励し、車両・線路・乗り心地(振動)・信号…「新幹線」を走らせるために必要な技術をまとめていった。
その島氏を十河総裁はなぜ技師長として迎え入れたのか(島氏は国鉄工作局長時代に起きた「桜木町事故」の責任を負って一度国鉄を去っている)。
新幹線誕生までを描いた内橋克人氏の名著「匠の時代 4」にその回答が記されている。「…国鉄のようにいろいろな道具や仕掛けを使って仕事をするところでは、まず道具そのものがキチンとしていないといけない。技術と技術屋が重要なんだ」(原文を一部改変)。稀代の「技術屋」である島氏の能力が、「新幹線」には不可欠であったのだ。
また、新幹線誕生のきっかけが、鉄道技術研究所(現在の鉄道総合技術研究所《JR 総研》)が研究所創立50周年を記念して開催した講演会「超特急列車 東京-大阪間 3時間への可能性」(昭和32(1957)年5月30日 銀座山葉ホール)であったことをご存知の方もいるかも知れない。各分野の専門家による長年の地道な研究の成果が、当時は考えもされなかったであろう「東京-大阪間を3時間で結ぶ高速列車を走らせることは可能」と世間に対しアピールしたのだった。地道な研究が人々の「夢」になる。技術屋(研究者)はかくありたい、と思わせるエピソードである。
さて、いずこの会社や組織でみられるように、本社と研究所の関係は必ずしもよい関係とばかりではない。当時の国鉄もその例外ではなかったようだ。しかし「新幹線で東京-大阪間を3時間で結ぶ」というプロジェクトが動き出したことにより本社と研究所との「空気」を変え、お互いがザックバランに議論する雰囲気になった、と内橋氏は書いている。
こうして東海道新幹線は生まれた。昭和39(1964)年、東京駅にこんな碑文が設置された。私は今でもこの文字に出会うと心が打ち震えるのを覚える。
「東海道新幹線 この鉄道は日本国民の叡智と努力によって完成された
NEW TOKAIDO LINE Product of the wisdom and effort of the Japanese people」
(3)教団付置研究所のこれからの使命とは
長々とした譬え話を綴ってしまったが、立正佼成会という仏教教団の付置研究所である中央学術研究所(以下、研究所とする)には、これから何が求められるのか。いわゆる「技術研究所」とは性格は異なるが、本体組織のinstitute としてどのような機能が望まれるのか。以下、客員研究員の立場から私見を述べたい。
第1章でも述べたように、混沌とする時代相に対して、仏教真理に基づく諸見解を発信しつづける、という役割はこれからも変わらぬ使命であろう。今年の「長崎平和宣言」にもあったように、「自然への畏れを忘れていなかったか」「人間の制御力を過信していなかったか」…このことは原子力利用に限らずすべての領域について言えよう。現代に対する警鐘を鳴らし、時には松明を燈す役割がある。
また、教団の目指す布教伝道の「道具」や「仕掛け」をしっかりとしたものにしていくことももうひとつの大切な使命ではあるまいか。布教現場で起こるさまざまな課題に対し、研究所が中心となり、あるいは他の組織と連携を図りながら、必要な支援や助言が現場に提供できる、ということもあってよい。また研究所の研究機能を活用し、現場での取り組みについて共同で調査・研究等を行い、客観的な評価や課題解決のプロセスの提示、また地域特性に応じた活動のあり方に対する提言や助成など、布教現場と研究所がザックバランに議論する雰囲気が醸成されたら、研究所の価値が一層高められるのではないか、と考える。
また、これまでも取り組まれてきたことだが、在野の有為な人財(敢えてこう表記する)のゆるやかなネットワークのハブとして、教団や布教現場が直面するさまざまな社会的課題に対応できるシンクタンクとしての機能の一層の充実にも注力されたい、と希望している。
私が参画している「人間と科学研究学会」も、以前、本稿で今井教授が記されたように、出逢い難き「善友」として学会活動をサポートいただいている。このことへの限りない感謝を込めて、失礼を省みず拙稿を書かせていただいた。研究所に関わるすべての人々の叡智と努力によって、おおらかで堂々とした「夢」の実現に挑戦していきたい、と心から願っている。
参考文献
内橋克人 著「新版 匠の時代4」岩波現代文庫(岩波書店 刊)
◆プロフィール◆
遠藤 浩正(えんどう・ひろまさ) (1962年生)
昭和37(1962)年、東京都生まれ。平成2(1990)年明海大学歯学部を卒業し歯科医師免許を取得。平成6(1994)年明海大学大学院歯学研究科博士課程を修了し博士(歯学)を取得。研究職を経て、現在、行政機関で公衆衛生業務等に従事する。現在、明海大学非常勤講師、日本大学歯学部兼任講師などを務める。中央学術研究所客員研究員。「人間と科学」研究学会副会長。
(CANDANA247号より)