岩井 昌悟(東洋大学教授)
釈迦一代記五之目次
一、降魔ノ相
二、十魔名義并ニ魔ノ細釈(又大論ノコヽロニヨルニ…)
三、十魔ノ釈義并ニ第一五蘊仮和合降魔ノ相
四、第二煩悩魔ノ降相
五、第三業魔第四心魔ノ降相
六、第五死魔第六不弁正法魔ノ伏相
七、第七八九失善根三昧知識魔ノ相
八、外魔ノ相
九、天魔驚夢
十、四女ノ障相(受胎経・瑞応経等ノ意ナリ)
十一、魔王障礙留難
十二、菩薩ト魔王ト宿福勝劣往復対弁
十三、 魔王仏ケヲ射ノ箭還テ青蓮華ト変ズルノ妙術
十四、魔女三人ノ敗北
十五、魔王及ヒ軍衆威力ヲ以障難ヲナスノ述
十六、 魔王カ長子帰依仏ノ弁(已上三世因果経・観仏三昧経・瑞応経・雑法蔵経等ノコヽロナリ)
十七、降魔成就ノ相
十八、菩薩所断惑ノ相
十九、正ク仏ケ成道ノ相并ニ梵王転法輪ヲ請ノ要述
二十、千仏出世ノ因縁并ニ梵王及ビ密迹金剛神ノ本縁(正法念経ノ説ニヨルニ…)
廿一、二王神ノ説
廿二、最初法輪ニ所度ノ機ノ分別
廿三、斯那利行三帰受ノ弁
廿四、優波伽外道帰仏ノ縁
廿五、毒竜王帰三宝ノ縁(本起経ノコヽロナリ)
廿六、五比丘仏ヲ信セサルノ述
廿七、五比丘帰仏信仰
廿八、仏陳如ヲ教誡シ玉フ弁
廿九、四比丘ノ得度
三十、耶舎長者感夢ニヲドロキ并ニ告令ニヨリテ仏所ニ来リ三帰戒ヲウクルノ術
卅一、耶舎朋友ノ五十五人帰仏得度
卅二、優楼頻螺帰依仏ノ事実
卅三、毒竜ノ帰仏
卅四、那提伽耶ノ二迦葉兄ニシタガフテ帰仏セルノ述
卅五、仏王舎城ニ行頻婆娑羅王ヲ化シ竹園精舎ニ暫住シ玉フ弁
卅六、舎利弗目犍連ノ帰仏并ニ馬勝比丘伝語ノ得益
卅七、初化度ノ一千二百五十五人随従仏後ノ相
卅八、大迦葉ノ帰依
仏釈迦一代記六之目次
一、 四河ノ名義并ニ釈氏ノ説(梁高僧伝・法苑珠林等ノコヽロナリ)
二、仏ケ及ビ弟子ノ本縁(已上普曜経ノ説ノコヽロナリ)
三、仏ケ還国シテ父子対面(已上普曜経ノコヽロ)
四、仏ケ忉利ニ登摩耶ト対面
五、仏ケ切利ヨリ下玉フノ相(已上仏昇忉利天為母説法経ニ見ユ)
六、生身金像ニ尊対顔ノ術
七、一代説経ノ大意并ニ三転法輪
八、修多羅ノ翻名多説
九、契ノ字ノ沙汰
十、経ノ字ノ沙汰
十一、総別二種ノ修多羅
十二、偈頌ノ翻名并ニ四種八種ノ弁
十三、授記ノ名義并ニ多説
十四、無問自説ノ述
十五、尼陀那ノ二説
十六、譬喩ノ沙汰
十七、本事梵語ノ訂正
十八、本生ノ述
十九、方広大小乗ノ別
二十、希有経ノ多説
二十一、仏ケ石室ノ影現
二十二、須達カ鸚鵡ノ聞法
二十三、四悉曇ノ述
二十四、仏ケノ応同并ニ維摩ノ化迹
二十五、仏ケ二比丘化導ノ分別
二十六、転法輪ノ字義
二十七、仏ケ随類形ノ術(観仏三昧経ノ文ニヨルニ…)
二十八、 仏ケ曠野鬼ヲ化シ玉フ神変
二十九、仏ケ四種化度ノ相
三十、如来一代所説ノ次第
三十一、仏ケ所説ノ大意ノ略
三十二、法鼓ノ沙汰
三十三、漏刻ノツモリ時ヲシルノ弁
三十四、剣ノ功用
三十五、幢ノ七義
三十六、雷ノ多説
三十七、電ノ沙汰
三十八、雨ノ沙汰
釈迦一代記七之目次
一、鸚鵡林ノ化導(百縁経ニ見ヘタリ)
二、仏難陀ヲ化度シ玉フ種々ノ方便ノ視誨(雑法蔵経ニ見エタリ)
三、仏影諸悪心ヲ止玉フノ事実(西域記ニ見エタリ)
四、仏善生長者カ子ニ今世後世長寿富貴ノ法ヲ教玉フ述(優婆塞戒経ニ見エタリ)
五、須達婦ヲ求ノ縁并ニ婆羅門護弥カ童女ヲ見タツルノ弁
六、須達護弥カ家ニイタリ仏出ヲ聞ノ述
七、須達霊山ニ到仏ニ逢タテマツルノ縁
八、須達仏ヲ舎衛ニノゾムノ述并袛園精舎ノ建立
九、蟻子ノ長迷
十、竹園林勝地ノ相(曇無徳律ニ出タリ)
十一、仏事ヲ月光ノ四種ニ譬ノ術
十二、仏説ヲ月光ノ二利ニ譬ノ術(又大婆沙論ノコヽロニヨルニ…)
十三、仏純陀ガ微賤ノ供養ヲウケ玉ヘルノ述(涅槃経ニ出タリ、亮法師釈シテイ云ハク6)
十四、世俗至信ヲ本トシテ多少貴賤ニヨラサルノ妙述(書経君陳篇云、左伝隠公伝云テンニイワク、周易既済卦云)
十五、仏滅後ノ遺誡(涅槃経ニ出タリ)
十六、仏涅槃ニ順逆超越定ノ相(涅槃経ニ出タリ)
十七、仏涅槃ヲ非情ノ哀歎
十八、如来双林集来衆ノ相
十九、須抜陀カ因縁
二十、仏涅槃ノ相
廿一、斉業斉縁ニ涅槃ノ差別
廿二、仏頭北面西右脇臥ニシテ涅槃ニ入玉フノ弁釈
廿三、双樹林下ノ涅槃ニ標相ノ多説
廿四、如来涅槃ノ月日ノ沙汰
廿五、如来十五日涅槃ノ例表(已上涅槃経ノコヽロナリ)
廿六、如来中夜涅槃ノ表相
廿七、四枯四栄双林ノ表相并ニ多説
廿八、一切大衆入滅ヲ悲哀セルノ相(後分涅槃ニ見エタリ)
廿九、如来ノ寿命七十九歳八十歳八十一歳会釈ノ述(最勝王経ニハ…、婆沙論ニハ…、周書等ニハ…、倶舎論第三ニ云ク)
三十、仏金棺ニ入玉フノ相(菩薩処胎経ニ出タリ)
卅一、摩耶夫人五衰ノ現相
卅二、摩耶ノ五悪夢
卅三、如来涅槃ノ相ヲ阿那律忉利ニノホリ摩耶ニ告ノ述
卅四、摩耶忉利ヨリ下天シ仏棺ニチカツキ悲歎シ玉フノ相述
卅五、化仏摩耶ヲ勧誘シ玉フノ弁(已上摩耶経ニ見エタリ)
卅六、阿難鶴林ノ期ニ母子相見ノ式ヲ問ノ術
卅七、仏金棺ノ中ヨリ迦葉ニ伝法附属ノ術
卅八、仏身聖火ヲ以テ荼毘シ玉フ述
卅九、荼毘ヲハリテ帝釈仏牙ヲトリ忉利ニノボリ塔ヲ立供養シ玉フ述
釈迦一代記八之目次
一、西域ノ四葬
二、舎利ハ滅後ノ益タル事ヲ示ス
三、正法五百年伝法次第ノ相
四、像法千年仏法衰尽ノ相
五、倶睒弥国ノ三蔵ノ弟子ト羅漢ノ弟子ト互ニ師ヲ殺害スルノ述(摩耶経ニ出タリ)
六、仏舎利ヲ三分スルノ術并ニ八国ノ帝王闘諍ノ相(双巻泥洹経・大般涅槃経・菩薩処胎経ノ意)
七、仏涅槃ヲ魔外道ノトモガラ聞テ教経ヲ破滅セント歓喜スルノ相
八、一代諸経結集ノ相
九、阿難結集ノ衆ニ入ザルノ述
十、憍梵波提忉利天ヨリ来下シテ水音説法シ玉ヘルノ妙術
十一、阿難得果シ報恩蔵ニ入リ一切法蔵経結集シ玉ヘルノ術(已上智度論ノコヽロナリ、此外法苑珠林に多説アリ)
十二、阿難ハ附法第三祖タルノ弁
十三、阿難ハ二祖三祖何乎ノ弁
十四、商那和修ノ伝
十五、優婆毱多如来ノ讖記ニアヅカリ并ニ石室籌量ノ益物(已上道誠記註ノコヽロナリ)
十六、毱多伏魔ノ神力(釈氏稽古略ニ出タリ)
十七、阿育王宿因ノモノガタリ(賢愚経ニ出タリ。阿難経ノコヽロハ少々異アルナリ)
十八、仏宿福ノ因縁
十九、大小権実部別ノヲコリ
二十、小乗諸部ノ沙汰
廿一、戒賢智光空有ノ論
廿二、十一祖耶奢尊者ノ伝(付法蔵伝ノコヽロナリ)
廿三、十二祖毘羅尊者龍蛇ニ三帰戒ヲ授与シ并ニ龍樹ニ附法シ玉ヘルノ術(付法蔵伝ニ見エタリ)
廿四、龍樹ノ伝
廿五、馬鳴龍樹天親造論ノ術
廿六、天親倶舎論製述ノ由来
廿七、天親小乗ヲ捨大乗ニ帰スルノ縁
廿八、提婆菩薩諸論士教化ノ相(成道記ノ註ニ見ユ)
廿九、提婆菩薩廟神ヲ伏セルノ述
三十、陳那菩薩伽毘羅ガ方石ヲ摧破シ玉フノ神力(永明心ノ賦註ニ見エタリ)7
三十一、遺経流布ノ相
卅二、天竺ノ経像真丹将来ノ始元
卅三、天人来下シテ道宣ニ侍坐セルノ術
卅四、道経仏経優劣ノ捔論(三教優劣論・編年通論等ノコヽロナリ)
卅五、翻訳ノ字義并ニタトヘ
卅六、真丹仏教興隆ノ時節
卅七、仏図澄ノ神異并ニ石勒カ悪心ヲ化シ玉フノ妙術(已上高僧伝ノコヽロナリ)
卅八、道安ノ伝(梁僧伝稽古略等ニ出タリ)
卅九、慧遠ノ伝并ニ東林寺ノ造立付蓮華漏ノ事
四十、達摩ノ伝并梁朝将来
四十一、慧可法嗣ノ術(伝往経ニアリ。略シテ一義ヲ挙ルノミ)
四十二、真丹仏教紹隆ノ始祖
四十三、慧恩禅師達摩ノ勧誘ニヨッテ本朝ノ聖徳皇ト生ジ玉フノ述
四十四、聖徳皇日域誕生并ニ像経将来付太子制疏ノ年月
四十五、太子片岡山ノ飢人ニ逢玉ヘルノ詠歌
四十六、三国ノ仏法弘通スル事元仏恩ヨリヲコルノ述
目次畢
3.特徴
まず全体の結構であるが、「釈迦如来本迹二門ノ沙汰」(巻一一一)ではじまること、『釈迦一代伝記』と題しながら内容が仏滅後の龍樹・馬鳴・天親・提婆・陳那にまで話題が及ぶことから、唐の王勃撰『釈迦如来成道記』やその註である道誠『釈迦如来成道記註』に直接の影響を受けていることは明らかである8。このことは先に引用した、『釈迦如来成道記』に言及する「凡例挙要」からも確認できる。
また巻八で、道宣、仏図澄、道安、慧遠、達摩、慧可、さらには『三教優劣』を引いて道経と仏経の優劣に言及するところから、明代の『釈氏源流』を参照しているかもしれない。
『三国因縁釈迦一代伝記』の釈尊は19歳出家(巻三─卅五)、12年修行、30歳成道である(巻四─十九)、50年説法(巻六─七)である。「一代四教五時ノ説法」(巻六─七)である。
「凡例挙要」からも明らかであるが、『三国因縁釈迦一代伝記』は啓蒙目的で著わされた著作であり、娯楽的要素は皆無といってよい。また典拠もかなりしっかり示されており、学術的な典籍といえる。
内容をいちいち紹介できなくて残念であるが、際立って学術的なところは、六年苦行説と十二年修行説ノ会通をはかる巻四─十九、巻六─七以降の「十二分経」の解説、巻五─二以降の「十魔」の分類の解説、巻七─廿九の仏涅槃時の寿命について79歳説と80歳説と81歳説の会通をはかるところ等であろう。
4.位置づけ
私はかつて『近代化と伝統の間─明治期の人間観と世界観』所載の「日本近世仏伝文学の世界」の中で下記のように書いたことがある。9
日本で最初期の「実証的・合理的な、諸ゴータマ・ブッダ伝」は井上哲次郎著『釈迦牟尼伝』(前川文栄閣、初版一九一一年)であろう。井上哲次郎は序において次のように述べる。
「……然るに印度哲学中釋迦傳は往々人の爲に謄寫して傳へられ、竊に其訛傳の多からんことを恐る…(中略)…釋迦の事績は正確なる事實を執へて、之れを叙述すること極めて困難なるものなり、是れ後世の佛教信者が祖師の人格を尊崇するの極、多く神怪不思議の説話を混入したればなり。試に從來我邦に行はれたる釋迦傳の類を見よ、滔々として皆是れ荒唐無稽の小説のみ、藏經中釋迦の事績を敘述するもの少くも十有餘種ありと雖も、是れ亦注意に注意を加えて、取捨せざるべからざるなり。近世西洋に於ては佛教の研究、漸く其緒に就き、釋迦の事績に關する書類、反りて大に見るべきものあり、然れども是等の書類は、未だ多く我邦人に知られざる者の如し。此時に當りて余其才の謭劣を顧みず、東西洋の書類を參考し、聊釋迦の事績を描出することを努めたり。若し此書にして久しく荒唐無稽の説話中に埋沒されたる世界的偉人の眞相を彷彿として紹介するを得ば、是れ豈に獨り余が幸といふのみならんや10(傍線筆者)。
傍線をほどこした「訛伝」、「荒唐無稽の小説、説話」といった表現で切って捨てられたのが、近世の日本の仏伝なのである。井上哲次郎の念頭にあるのが具体的にどの書であるかは分からないが、恐らくは山田意齋『釈迦御一代記図絵』(1845年)、万亭応賀『釈迦八相倭文庫』(1845~1871年)、鈴亭谷峩『八宗起源釈迦実録』(1854年)といったものであろう11。
19世紀の日本の仏伝文学は著しく通俗化されたものがはやっていた。訛伝の特徴としては①マガダ国のカピラ城などとして、釈尊をマガダ国の出身としたり、②仏母マーヤーとその妹マハーパジャーパティー・ゴータミーの関係が逆転し、姉が憍曇弥、妹が摩耶となっていて、さらに姉の妹への嫉妬は尋常ではなく、太子を懐妊した妹・摩耶を姉・憍曇弥がひどく妬み、堕胎させることを試みたり、摩耶を呪詛させて、結果3年にわたって釈尊の出胎が妨げられる、⑤修行場所が檀特山→般若台→雪山と推移する、といったことがあげられるが、これらの特徴を具備する一番古い典籍は『釈迦八相物語』(作者未詳、寛文六年十一月刊行寛文六年(1666)版、『日本仏伝文学の研究』所収12)である。元禄5年(1692)刊という情報を信ずるなら、19世紀の仏伝が、上記の特徴を全く含まない『三国因縁釈迦一代伝記』を全く無視する形で、『釈迦八相物語』をモデルにしたのは少し残念である。学術的なものはいつの時代もあまり大衆に受けないというか。
しかしながら玄貞(あるいは了意)が訛伝を意識したかもしれないと思われる箇所を二点だけ紹介してこの稿を終わりとしたい。
巻三─六「摩耶悉達ヲ生ジ玉ヒテ七日ニ命終シ玉フ太子逆罪ニアラザルノ述」に下記がある。
サテ太子生レ玉ヒテ後七日目ニ、御母摩耶夫人命チヲワリ玉ヒヌ。三界ノ独尊トナリ玉フ仏体ヲ懐孕功徳力ニヨッテ自然ト上忉利天に生ジ玉ヘリ。是レニツイテ仏ケ右脇ヲヤブリテ生ジ玉フ故ニ七日ニヲワリ玉ハヾ逆罪ノ其ノ一ニアラズヤトナリ。
釈迦が母の右脇を突き破って生まれたことで母を死に至らせたという発想に対して13、玄貞(あるいは了意)は大真面目に反論し、『仏本行集経』を引いて14、菩薩はあらかじめ、出家時に母の心を砕裂させないために、誕生後7日に亡くなる女人を母として選ぶといった趣旨のことを述べる。
巻三一卅八「太子王宮ヲ出玉フノ現瑞」では、出家して道路を三由旬那来た「此ノ地」に対し、「此地トハ阿那广国ト云又ハ檀特山ノフモトヽモ云ナリ」と割注を挿入している。
最後にこれほど貴重な典籍に引き合わせてくださった川崎ミチコ先生に心より御礼申し上げる。
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6 この亮法師の釈は『釈迦如来成道記註』(卍続蔵75、p.12b13)の「亮法師釋云。佛意不欲棄少從多…」
7 十冊本ではここから八之末に所載。
8 『釈迦如来成道記』は「觀夫釋迦如來之垂迹也」で始まる。
9 岩井昌悟「日本近世仏伝文学の世界」『近代化と伝統の間─明治期の人間観と世界観』(吉田公平・岩井
昌悟・小坂国継【編】東洋大学国際哲学研究センター第1ユニット【著】)2016年、教育評論社、pp.92-144
10 井上哲次郎・堀謙徳合著『増訂釈迦牟尼伝』前川文栄閣、1917年、pp.1-3
11 岩井『前掲』pp.93-94
12 黒部通善『日本仏伝文学の研究』和泉書院、1989年
13 岩井『前掲』p.114
14 『仏本行集経』(大正蔵3, p.701a)
◆プロフィール◆
岩井 昌悟(いわい しょうご) (1969年生)
千葉県出身。東洋大文学部教授。東洋大大学院文学研究科修了。博士(文学)。専攻は仏教学。著書に『現代仏教塾』(共著・幻冬舎)、『近代化と伝統の間―明治期の人間観と世界観』(共著・教育評論社)など。
(『CANDANA』284号より)