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「明日への提言」

足元を見よう

ブライアン・バークガフニ(長崎総合科学大学教授)

 

 近年、「宇宙」という言葉をよく耳にする。宇宙探査、宇宙開発、宇宙旅行などである。アメリカのスペースシャトルに搭乗した元宇宙飛行士は、全国の小中学校を訪ね回り宇宙へ夢を抱くように子供たちに言い聞かせている。宇宙開発の賞賛を歌って「生命の起源に迫る」という高慢な予測までする。日本宇宙航空研究開発機構の代表は、宇宙・航空分野において日本は厳しい競争環境にさらされているので、「新たな世界を切り開く挑戦的な研究開発に取り組み、日本の宇宙・航空分野を牽引して行かねばならない」と主張する。先般、実業家の前澤友作氏は、民間人として世界初の月周回旅行を契約したことを明らかにして話題を呼んだ。

 しかし、スペースシャトルや国際宇宙ステーションに見る有人宇宙飛行の技術がいくら発展しても、飛行士たちは地球の水、食料、空気を持参しなければ宇宙で生存できない。私たちはとりもなおさず「地球人」である。ハリウッド映画『オデッセイ』は、火星に一人取り残された飛行士が種芋を見つけて、火星の土と自分の排泄物を使ってジャガイモの栽培に成功する様子を描くが、おとぎ話の域を出ない。

 人間が宇宙開発に打ち込んでいた間、地球温暖化、異常気象、海洋汚染、動植物の絶滅など、環境問題が深刻化してきた。空を見上げる前に、私たちはまず足元を見つめて、唯一の住処である地球を守るように奮励努力すべきではないだろうか。

日本へ

 カナダの大学に在学中、私は仏教と東洋思想に興味を抱いた。多くの若者が既存の宗教や政治に幻滅を感じ、新しい世界観を探る時代であった。1971年の秋にカナダを出発し、ヨーロッパから東へと陸路を旅し、インドに5か月間滞在した。その間、国中のヒンズー教寺院やアシュラムと呼ばれるヨガ道場などを訪れて「悟りの境地」を解明しようとした。ヒマラヤ山脈のふもとに位置するリシケシにも足を延し、ガンジス川の上流にたたずむアシュラムを訪れた。ときおりヨガの指導や夕方の講話が行なわれていた。ある日、講話が終わったあと、私は勇気を出して品格あふれる導師のところへ行き、「瞑想のための修行をしたいのですが」と、できるだけ丁寧に言った。

 「どうぞ、おやりなさい」

 導師は威厳に満ちた顔で一点を指しながらそう言った。その指先は、私が立っている地面に向けられていた。

 「誰も邪魔しません」

 それが明確きわまる教えであることに私が気づいたのは、何年もたってからのことであった。私はそのとき、その教えを理解する素地を持ちあわせていなかった。どこかへ足を運び、何かをおこない、何らかの結果を得ることなくして修行とは言えない、と思いこんでいたので、導師の言葉は無責任な冗談としか思えなかったのである。

 結局、私は日本に行って禅寺の扉を叩くことを決めた。禅学者の鈴木大拙やアラン・ワッツの著書を読んで、日本の禅文化と僧堂における修行体制に強い関心を持っていたからである。1972年夏に京都に到着すると、仏教に詳しいある大学教授と出会い、愛媛県の臨済禅宗寺院、佛心寺で一人暮らしをしていた山岸善来老師を紹介していただくという幸運に恵まれた。翌年3月、私は仏門に入り、その後9年間に及ぶ雲水(修行僧)生活を開始した。

照顧脚下

 佛心寺の玄関で靴を脱ぐと、土間の横の壁にかかっている小さな看板が目に入る。そしてその看板には「照顧脚下」という文字が書いてあることに気がつく。一見、これは「きちんと靴をそろえなさい」というような軽い戒めに見える。しかし、実際は大変重要かつ含蓄ある言葉である。「脚下を見る」目的は、ただ物理的な足元に気をつけることではもちろんない。即今、自分の行動に一身をささげて集中することという禅修行の本質を指すが、その他、環境保全の座右の銘ともいえる。

 照顧脚下、つまり今を大切にする精神は、無駄をなくすことにも繋がる。佛心寺で2年間過ごした後、私がお世話になった京都・妙心寺本山の専門道場では、「ゴミ」が皆無であった。茶殻や野菜の切りくずはためておいて堆肥をつくり、菜園の肥やしにする。米のとぎ水、かまどの灰も、同様に野菜や木の根元にまく。古くなった着物や衣で本や布団のカバーをつくり、紙くずも障子の穴の補修やメモ用紙やかまどのたきつけに利用する。

 屎尿も大変重要な資源である。「園頭(えんず)」と呼ばれる菜園を管理する係りは、5日目ごとに便所から屎尿を汲み取り、畑の肥だめにしばらくためておいてから野菜の肥料に使う。自然の肥料で育った野菜が無駄なく人間の胃袋に消えてから再び畑を肥やすという完璧なサイクルである。

 このつましい生活様式の最も驚くべき例の一つは「消し炭」である。かまどから出る不要な燃えさしを水の入ったドラム缶に入れておき、ある程度たまったところでやぐらにのせて天日で乾燥させ、火鉢や七輪で燃料として再利用する。

 かつては日本中で普通におこなわれていた習慣だが、大量生産、大量消費、大量廃棄の経済システムが導入されている現代日本では、臨済宗の専門道場に見る循環型生活様式は時代遅れのやせ我慢に見えるかもしれない。しかし、無駄を省き、ものをより小さく、より使いやすくしようとする日本古来の創意工夫は今も脈々と受け継がれているようだ。

 子供のころ、カナダの通りで日本製の軽トラックを初めて見たとき、私には、そのこっけいなほど小さなトラックがいかにも場違いなところを走っているように感じられた。ところがやがて、その小型トラックに代表される小さな日本車が、経済性や耐久性の観点からもてはやされるようになった。電卓、時計、携帯ラジオ、音楽プレーヤー、コンパクトデジカメ、ICレコーダー、薄型テレビなど、他の洗練された日本製品も世界を鷲掴みにした。

核のゴミに憂える

 専門道場の修行僧たちがつましく暮らすのは、人間と環境の本来の調和のありかたを心得ているからである。森や海に無用なものがないのと同様に、生活環境にも無用なもの、不必要なものはいっさいない。全体の一部に何かが起これば、必ず他のすべての部分に何らかの影響が及ぶ。そもそもすべてのトラブルは、全体から個を、たとえば自然から人間を「分離」するというまちがった思想に端を発するのである。

 ゴミの発生はこの誤解を如実に示すものだと言えよう。捨てさえすれば、その廃棄物との関係を断つことができるという考えのもとに、ゴミが生み出されるからである。経済システム全体が浪費をめざし、満足することを知らぬ消費社会では、次から次に出てくる新製品の洪水が、さながら大河の流れのように旧製品を押し流し続ける。

 廃棄物の中で最も厄介なものはいわゆる「核のゴミ」ではないか。福島第一原発の事故のあと、検査のため、原子力発電による発電電力量は徐々に減少し、2014年度には一旦ゼロとなった。しかし、最近では新しい原発基準のもと原発が次々と再稼働している。佐賀県にある玄海原発1号機と2号機を再稼働した九州電力はホームペイジで、「今後も、更なる安全性・信頼性向上への取り組みを、自主的かつ継続的に進め、原子力発電所の安全確保に万全を期してまいります」など、原子力発電所の安全対策を強調する。しかし、高レベル放射性廃棄物、いわゆる「核のゴミ」の深刻な問題には言及しない。

 原子力発電所の使用済燃料棒は、冷やされたあと再処理工場へ送られる。核反応の過程で発生したプルトニウムを分離し、残りの放射性廃棄物をガラスで固形化して深地層中に最終処分する、という基本方針は日本政府により示されている。しかし、肝心な最終処分場は未定のまま。正に「トイレのないマンション」である。

 放射性廃棄物を地下に埋めても、放射能が無害になるまで十万年以上保管し続けなければならないので、果たせそうもない重い責務を次世代の人々に押し付けてしまう。核のゴミを生み出す原子力発電は、モノを大切にし、「消し炭」のように無駄を省く循環型生活様式を育んできた日本には似合わないと思う。

化石燃料は有限

 マスメディアの多くの報道は、紛争による石油価格の高騰や新興国の化石燃料需要の高まりといった問題を取り上げるが、化石燃料が限りある再生不能な資源で枯渇するものだという明白な事実に言及することがめったにない。同様に、化石燃料の燃焼と地球温暖化の関係を指摘しても、自動車や飛行機の使用を控えようという提案にまで話が進まない。いずれにしても、現在の消費レベルでは、石油生産量は近い将来にピークに達し、永久的な下降が始まる。生産のピークを超えた後は、供給は需要に追いつかず、エネルギー不足が世界経済を混乱させ、世界平和を脅かすと想定できる。

 燃料からプラスチック、医薬品、肥料や殺虫剤に至るあらゆる物について石油に依存している先進工業諸国は、石油に頼らない新エネルギー戦略を緊急に構築する必要あるが、国内の石油生産がなく、鉱物資源に限りがあり、食物等の生活必需品の自給率が危険なまでに低い日本にとって、とりわけ危機的状況といえる。

 問題解決のためにまずできることの一つは、使い捨てプラスチックの削減である。私の母国であるカナダの最南西部にビクトリアという人口三十万ほどの街がある。昨年、カナダ旅行中、私は大切に保存された伝統的な町並みと美しい自然環境に感心しつつ、ビクトリア市が独自の政策で、レジ袋やその他の使い捨てプラスチックを禁止していることに驚いた。現在、すべてのスーパーやその他の商店では、買い物客がマイバッグを持参するか、レジで紙袋を購入しなければならない。

 日本は、米国に続いて一人当たりのプラスチック廃棄物の最大量を生み出しており、プラスチックの使用を抑制することにおいて他国に遅れをとっているといわれる。環境省では、「プラスチック資源循環戦略」をまとめ、レジ袋の有料化や使い捨てプラスチックの排出量を2030年までに25%削減するといった目標を示している。しかし、プラスチックごみが増えて海に投棄されることによる深刻な海洋汚染の現状を考えると、これは待ったなしの急務だといえる。日本の自治体に率先して新エネルギーの推進やレジ袋を排除するという条例を早急に制定して欲しいと思う。

「供養」の心に学ぶ

 日本の伝統文化に根を張る仏教特有の習慣の一つとして、供養(くよう)がある。この言葉は、サンスクリット語のプージャーまたはプージャナーの訳で、通常「仏、菩薩、諸天などに香・華・灯明・飲食などの供物を真心から捧げること」と定義されるが、日本の場合、筆や針など、とても地味なものも供養の対象となる。

 長崎市の聖福寺は、17世紀に建立された黄檗宗の古刹。同じ黄檗宗の興福寺と崇福寺、また原爆後の火災で焼失した福済寺と並んで「長崎四福寺」のひとつに数えられるが、「赤寺」の特徴である派手な朱色塗りをさけ、日本と中国両方の様式を融合させている。本堂の左側には垣根に囲まれた小さな庭があり、「茶筅冢」という文字が彫られた石組みの上に、茶筅をかたどった高さ1メートルほどの石碑が立っている。

 この奇妙な石碑は、見る人によっては、茶道に関係する記念碑として捉えられるかもしれない。スプーンやフォークをモチーフにした現代アートのようなものだと結論する人もいるだろう。ある宗教の原理主義者にこの石碑を見せると、それは「偶像崇拝の証拠だ」と非難される可能性もある。

 しかし、いうまでもなく、茶筅塚はお茶をたてる際に使う茶筅への感謝の表現である。一本の手作り茶筅には長年の訓練の積み重ねと多くの時間と手間がかけられている。また、茶人たちにとって、茶筅は必要不可欠な道具だけでなく、茶の湯の根底にある簡素美の象徴なのである。

 大切な茶筅をポイとゴミに捨てることができないので、茶道各流派はしばしば茶筅塚の前に集い、日頃使い古した茶筅を供養するために茶会を開く。現代の消費社会では、残飯、過重包装やさまざまな使い捨て商品が何のためらいもなく投げ捨てられ、ゴミの山を増大させ続けている。資源の枯渇や環境悪化が着々と迫りつつあるにもかかわらず、システム全体が大量生産、大量消費、大量廃棄という悪循環に陥っている。

 世界中からより多くの人々が長崎の山裾にたたずむ聖福寺を訪ねて、茶筅塚の心に触れてほしいものである。

掌中の珠

 日本は、世界には誇る先端技術の他に極めて有効な手だてがある。それは、先に述べたように、かつてこの国では当たり前だった物を大切にして、無駄を省く生活様式である。「忙しいことは良いことだ」と言い張って経済発展をあまりにも重点的に推し進めてきた結果、現代の人々は足元にある日本古来の心を忘れ、幾世紀もの歳月を経て見なした人間と自然の調和を見事に実現した生活様式を捨てているのではないだろうか。「忙」を組み替えると「忘」になる。これを見ると、漢字の深遠さにうなずく。

 アメリカ先住民たちが言うように、「地球は子孫からの借りもの」なので、資源を浪費せず、美しいままの地球を引き継ぐのが私たちの重要な義務である。過去からの遺産を粗末にする社会は、豊かな将来を迎えることができないと言えよう。

 環境問題が最近大きくクローズアップされるようになった。しかし日本では、ドイツやノルウェーなど、遠い外国に環境保全のモデルケースを求める傾向があるようだ。私は、もっと身近な、鎌倉時代からほとんど変わっていない、ほぼ100%のリサイクル率をほこる臨済宗の専門道場のような世界まれに見る好例に眼を向けるべきだと考える。

 「貪見天上月失却掌中珠」(天上の月を貪り見て、掌中の珠を失却する)という有名な禅語がある。日本の「掌中の珠」は、緑したたる山々、豊かな農地、きれいな空気と水、美しい海、そして伝統的な循環型生活様式と思えてやまない。

◆プロフィール◆

ブライアン・バークガフニ

 1950年カナダ・ウィニペグ市で生まれる。1972年来日。1973年から1982年まで、京都の妙心寺専門道場等において禅の修行を積む。1982年、長崎市に移住。1985年長崎市嘱託職員に就任。1992年外国人として初めて長崎県民表彰受賞。1996年長崎総合科学大学教授に就任。2007年博士号(学術)取得。2016年「2016年度長崎新聞文化賞」受賞。現在、長崎総合科学大学教授、グラバー園名誉園長、出版社「フライング・クレイン・プレス」主幹。「リンガー家秘録」(平成26年、長崎文献社)、「霧笛の長崎居留地:ウォーカー兄弟と海運日本の黎明」(平成18年、長崎新聞社)など著書多数。

(『CANDANA』280号より)


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