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「明日への提言」

絶妙のバランスで創られている自然を観ずる

小池 俊雄(東京大学名誉教授)

氷が水に浮くわけ

小学生高学年の頃、なぜ氷が水に浮くのか分かりませんでした。担任の先生は、水は氷より重たいからと説明して下さいましたが、柔らかい・・・・水が重く・・て、硬い・・氷が軽い・・とはどうしても合点がゆきませんでした。この理由が分かったのは高校生になってからのことです。水素原子2個と酸素原子1個の共有結合で作られる水分子は、酸素原子に2つの電子対が残るために原子の周りの電子雲が酸素側に引き寄せられて、水素原子側が陽極(+)に酸素原子側が陰極(-)に非常に大きく電気分極します。液体状態の水分子は水素原子側の+と別の水分子の酸素原子側の-が相互に電気力で引き合うので自由には動けるわけではありませんが、それでも水分子の運動エネルギーが大きいために複数の水分子が相互に重なり合う場合があり、結果として単位体積当たりに含まれる水分子の数は増えます。一方、固体の氷になると、水分子の運動が抑制されて水素原子側の+と別の水分子の酸素原子側の-が堅く結びついて(水素結合)、六方格子とよばれる空洞の多い構造体となって単位体積当たりの水分子の数が減ります。このために、硬い・・氷は柔らかい・・・・水より軽い・・ということになるわけです。

もし、氷が水より重かったら私たちの住む地球はどのような姿になったでしょうか。北方の海では冬に海面が冷えて海氷がつくられます。もし氷が水より重かったら、海氷はできたはしから海中に沈み、海底にうずたかく降り積もるでしょう。夏になっても温められるのは海面だけなので、海底に積もった氷はほとんど解けずに夏を越し、また次の冬に海氷が海底に降り積もります。それが進んでいくと海面まで氷で埋めつくされてしまい、結局北の海は氷の陸地となってしまい、夏に表面から数メートルの氷が解けるだけという状態になりそうです。シベリアや北米、チベット高原の凍土地帯と同じような状況かもしれません。このように考えますと、水分子の特別大きな電気分極特性は、地表の面積の3分の2が流体である海で覆われた現在の地球の環境を形成する重要な特性ということになります。

氷菓子と環境

海氷がつくられるときには、地球の環境づくりにもう一つ重要な現象が見られます。上述のように水の電気分極によって水分子だけで氷がつくられますので、塩分は取り残され、その濃度はだんだん濃くなっていき、純氷と高濃度の塩水(ブライン)に分かれます。子供の頃、チュウチュウという氷菓子がありました。オレンジやメロンのジュースをソーセージ程度の細長いプラスティックの容器で凍らせたもので、端の飲み口を切って容器を手で暖めて中身を融かしながらチュウチュウと吸うのです。はじめのうちはオレンジやメロンの味を楽しめるのですが、そのうち味がしなくなり、手元を見るとなんと容器の中の氷菓子は真っ白、つまり氷だけになってしまっており、悲しくなったことを覚えております。水分子だけでできている氷の隙間にあるオレンジやメロンの濃いエキスは液体なので先に吸われて、氷がもぬけの殻となったように残ったものです。

ところで大西洋では熱帯で暖められた海水はメキシコ湾流となって北上し、グリーンランド沖で冷却されて海氷が形成されます。この時にブラインがつくられ、これは周囲の海水より重いので海底付近まで沈降します。世界全体ではそれがどこかで上昇しなければならず、その一つが太平洋北部です。上昇した海水は表面流となって太平洋を南下し、インドネシア島嶼群をすり抜けてインド洋を横切り、アフリカ大陸南端を過ぎて大西洋に入り北上して元に戻ります。これは海洋の深層大循環と呼ばれ、千年スケールの地球の気候を左右します。

明るい雪国

 雪国は暗い・・・・・と言われます。私は1988年から99年まで11回の冬を新潟県の長岡で過ごしましたが、最初に移り住んだ時に雪国の空は明るいと感じました。それどころか丘陵に建つ大学の7階の研究室から眺める山々の景色は、その姿を驚くほど明確に捉えることができ、惚れ惚れする景色が広がっておりました。実際に雪雲で覆われた長岡の天空を照度計で測り、冬の関東の晴天日の空と比較しますと、長岡のほうが10%程度明るいことが分かりました。雪国では雲が広がりやすいために地表に届く太陽光は減りますが、届いた光のほとんどが雪面で反射され、それがまた雲の底面で反射され、光が多重に反射しあう光環境ができるからということが分かりました。つまり関東の冬の晴天時を強いスポットライトで照らした空間と例えれば、雪国の景色は壁や天井を間接光で明るくした良好な光環境ということができます。

ご縁があって故富岡惣一郎画伯がまだお元気な頃、画伯のアトリエでこの話をご紹介する機会を頂きました。画伯はその通りと頷かれ、政府専用機や迎賓館に飾られるトミオカホワイトの雪景色は、この良好な光環境を表現しようと、黒いカンバスに塗った特別な白の絵具(トミオカホワイト)を、特別に鍛造された長大なペインティングナイフを使ってはぎ取るという独特の手法で表現しようとしたものであったとご紹介下さいました。雪害や日常生活の不便さや、雪下ろしや除雪などの労苦のせいでしょうか、雪国は暗い・・・・・と捉えられています。芸術家と科学者とでアプローチは異なりますが、とらわれない心で自然の本質をみると違った世界があることに気づきます。

湿った空気は軽い

その雲は、地表付近の湿った空気が上昇して、気温の低い上空で凝結して10~100ミクロンメートルの水滴になったものです。ここでなぜ湿った空気が上昇するのかということを不思議に思われませんか。湿った空気は重いい・・・・・・・・はずなのになぜ上空に昇っていくのでしょうか。重ければ地表面付近にドヨーンと溜まっているはずです。しかし夏に海水浴に行くと、降り注ぐ強い太陽光を受けて海面では盛んに蒸発しているはずで、したがって湿った空気がふんだんにあるはずなのに、海風は爽やかに感じ、ジメっとはしていません。

実は湿った空気は乾いた空気より軽いのです。気体はその種類に拠らず、一定の気温、気圧であれば、一定の体積に含まれる気体分子の数は同じという法則があります。乾いた空気は酸素と窒素が1対4の割合で混ざった気体で、酸素の重さは32、窒素の重さは28ですから、乾いた空気分子の重さは28.8となります。一方水は先にも紹介したように水素2個と酸素1個が結合したものですので水分子の重さは18になります。いまある容器に5個の気体分子があったと考えましょう。完全な乾燥空気の場合の重さは28.8×5=144となります。これを気温、気圧を変えずに少し湿った空気にします。つまり5個の乾燥空気分子の1つを水分子に置き換えます。そうすると乾燥空気分子4、水分子1となり、重さは28.8×4+18×1=133.2となります。さらに湿った場合を考え、乾燥空気分子3、水分子2としますと、重さは28.8×3+18×2=122.4となります。144>133.2>122.4ですから、空気は湿れば湿るほど軽くなるのです。

長男が小学校5年生の夏休み、自由研究の宿題で空気の流れを見たいと言い出し、お線香や水槽、霧吹き、乾燥剤、ガラスコップ、ラップなど、家にあるものを使って一生懸命実験しておりました。その結果、なんと湿った・・・空気は軽く・・乾いた・・・空気は重い・・という結論を得て、実験の手順などもしっかりまとめて学校に提出しました。すると全校児童の前で発表する機会を頂いたそうです。全校児童100名に満たない長岡の田舎の小学校はのどかな環境で、校長先生はもちろんすべての児童の家庭環境をよくご存知で、著者の職業も十分知っておられました。その校長先生から、「実験は面白いけど結果が間違っているから、お父さんに聞いてきなさい」とご指導いただいた長男は、「お父さんはよくできたねと褒めてくれたよ」と答えたそうです。すると「お父さんが言っているならいいか」と、長男の成果を市のコンクールに出して下さいました。コンクールの日の夕食時に結果を尋ねますと、「佳作賞をもらった」ということでした。1か月後に市の教育委員会から講評結果が届き、そこには、「実験は面白いけど結果が間違っているのは残念」と記されており、苦笑いしたことがありました。

雲は日傘

氷の話で水素結合に触れましたが、電気分極が大きい水分子は液体であっても2つの分子間で一つの水分子の水素側と他の一方の酸素側が電気力によって引き合っています。この結合を引き千切って、水分子が自由に飛び回る状態、つまり液体から気体に変化(蒸発)させるには、大きなエネルギーが必要です。実は太陽光から地表が得るエネルギーの半分以上がこのエネルギーに使われます。この効果がなければ地表面は高温になってしまいます。

気体となった水、つまり水蒸気が含まれ、空気が湿りますと、それは軽いので上空に昇ります。上空では気圧が低いので気温が低く、空気は水蒸気で満たされ、もうそれ以上気体ではいられなくなって(飽和して)、液体に変化(凝結)し小さな水滴となります。これが雲です。この時、気体が持っていた運動は水素結合によって止められますので、その運動エネルギーが熱に変換され、周りの空気を暖めます。小さな雲粒は空気の抵抗力と釣り合ってなかなか落下しませんが、雲粒同士がぶつかり合って大きな水滴になりますと、重くなって落ちてきます。これが雨です。

つまり、地表面で蒸発して、湿った軽い空気となって上昇し、上空で凝結して雲粒をつくり、それがぶつかり合って雨粒となって再び地表に戻ってくる過程を通して、地表で吸収された膨大なエネルギーが上空に運ばれて大気を暖めており、その結果地表面の高温化は抑えられ、大気は程よく温まって、地球の環境がつくられているのです。

実は雲粒にはもう一つの働きがあります。空気が飽和しますとそこには水蒸気がたくさんあるはずですから、雲粒はどんどん大きくなって、雲粒同士の衝突がなくても重くなって落ちてきてもよさそうなものです。しかし雲粒はなかなか大きくなれません。それは雲粒の表面の水分子が互いに水素結合で互いに引き合っていますので、水滴表面には大きな力(表面張力)が働いています。大きな雲粒をつくるにはその力に逆らって、気体の水蒸気が液体になって水滴の中に含まれ、体積を増やしていかなければなりません。肉厚の風船を考えてみてください。顔を真っ赤にしながら膨らませようとしてもなかなか膨らまないのと同じ状態なのです。もし雲粒がすぐに大きくなってストンストンと落ちてきたら、太陽光は遮るものなく地表を暖めますから、酷暑が続くことになります。水分子の特異な電気的性質があるがゆえに雲は空に浮かび、それが日傘となって地球の環境を創り出しています。

なぜそんなに巧妙にできていて、絶妙のバランスを保っているのか、不思議でなりません。この不思議を素直に観ずることができれば、違った世界が広がるかもしれません。科学を通して、自然の不思議をお伝えすることができれば幸いです。


◆プロフィール◆

小池 俊雄(こいけ としお)        (1956年生)

 福岡県生まれ。1980年、東京大学工学部卒。85年、同大学院工学系研究科修了(工学博士)。東京大学工学部助手、講師、長岡技術科学大学工学部助教授、教授を経て、99年から東京大学大学院工学系研究科教授。2017年に退任し東京大学名誉教授に。専門は地球水循環・地球水資源学。2014年よりユネスコの水災害・リスクマネジメント国際センター(ICHARM)センター長を務めるほか、日本学術会議会員、社会資本整備審議会河川分科会会長を併任。土木学会論文奨励賞、土木学会水工学論文賞、気象学会堀内賞、NASAグループ賞を受賞。著書に『地球環境論』(共著 岩波書店)、『大気圏の環境』(共著 東京電機大学出版局)、『環境教育と心理プロセス――知識から行動へのいざない』(共著 山海堂)、『社会倫理と仏教』(共著 佼成出版社)などがある。

(『CANDANA』273号より)


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