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「明日への提言」

食育がめざすもの

長澤 伸江(十文字学園女子大学教授)

食育における時代の潮流

 食は人が生きていくための源であり、命そのものと考えられています。しかし、日本は飽食の時代となり、ライフスタイルの変化もあって食をめぐる多くの課題が表面化してきました。その課題の解決に向けて、2005年に「食育基本法」が制定されました。その前文には、「二十一世紀における我が国の発展のためには、子どもたちが健全な心と身体を培い、未来や国際社会にむかって羽ばたくことができるようにするとともに、すべての国民が心身の健康を確保し、生涯にわたって生き生きと暮らすことができるようにすることが大切である」と書かれています。新たな法律を作り、国民運動として食育がスタートしました。

 制定から10年が経過し、社会の潮流が人口減少や少子高齢化、グローバル化、多様化する災害への対応、持続可能な循環型社会などへと加速しています。これまでも食を大切にする心の欠如、若い世代の朝食の欠食、栄養バランスの偏った食事や不規則な食事の増加、過度の痩身志向、働き盛り世代のメタボリックシンドロームや生活習慣病の増加が問題となっていました。超高齢社会を迎えた今、ロコモティブシンドロームの予防や低栄養の改善などによる健康寿命の延伸が食育のテーマとなっています。このほかにも、世帯構造や貧困の状況にある子どもに対する食支援など食をめぐる課題は山積し、子どもから高齢者まで、生涯を通じた食育の取り組みが重要となっています。そして、生涯にわたって、健全な心身を培い、豊かな人間性を育むためには、健全な食生活を実践するとともに、食を通じたコミュニケーションや日本の食文化の継承、生産から消費までの食の循環、食品ロスの削減、災害時の食への配慮など、人と人、地域と地域のつながりを意識した食育の取り組みが大切となっています。

 

食をめぐる現状と重点課題

(1) 若い世代の食育の実践に関する改善、充実の必要性

 厚生労働省から平成27年国民健康・栄養調査結果が発表され、その一つに主食・主菜・副菜を組み合わせた食事は、20~30歳代の若い世代ほど食べられていない傾向で、外食や中食の利用割合が高く、朝食欠食が多く、野菜摂取量が少ないという結果でした。特に女性では、たんぱく質、カルシウム、食物繊維及びカリウムなどの摂取が少ない傾向でした。この背景には若い女性のやせ志向があり、朝食の欠食、栄養バランスの偏った食事や不規則な食事が要因となっています。20歳代女性の22.3%が「やせ」と判定されるBMI18.5未満で、ここ20年で約2倍に増加しています。やせた女性は妊娠中に適正な体重まで増やさないと児じが2500g未満の低出生体重児になりやすいといわれ、その頻度は20年前の約2倍に増加しています。「成人病胎児期発症起源説(DOHaD)」では、低出生体重児は、将来生活習慣病などにかかるリスクが高くなるとされ重要視されています。これからの時代を背負っていく若い子育て世代がこのような話を聞く機会が少なく、適切な食事の大切さが理解されているのかとても心配になります。

重点項目:「若い世代を中心とした食育の推進」の目標

①朝食を欠食する国民を減らす。
②栄養バランスに配慮した食生活を実践する国民を増やす。

 

(2) 新たな国家戦略としての「健康寿命の延伸」

 20歳代の女性のやせが問題でしたが、40~60歳女性の20.5%はBMI25以上の肥満です。特に成人男性の肥満は31.5%と高くなっています。働き盛り世代では、不健康な生活習慣や過食が内臓脂肪型肥満を引き起こし、高血糖、高血圧、脂質異常症等が重なり心臓病や脳卒中などをまねくメタボリックシンドロームの予防が課題です。生活習慣病予防のためには、主食・主菜・副菜を組み合わせた食事を心がけ、ふだんから適正体重の維持や減塩等に気をつけた食生活を実践することが重要となります。共働きや単身世帯の増加により外食や中食が多く、食品中の食塩や脂肪の低減に取り組む食品企業や飲食店が多くなるよう社会全体で食環境を整えていくことも必要です。

 健康寿命の延伸とは、介護を必要としない自立した生活ができる年数を延ばそうという取り組みです。個人の生活の質を向上させ、医療費や介護費の節約になります。高齢者では、低栄養や加齢にともない筋肉、骨、関節などの部位に支障をきたし、日常生活が困難となり要介護状態に陥る要因の一つであるロコモティブシンドロームの予防が課題です。要介護者は年々増加し、606万人(平成27年3月末)にのぼっています。健康寿命延伸には、メタボリックシンドローム、肥満・やせ・低栄養の予防や改善が必要となります。みんなが食育に関心を持ち、子どものころから、食べ物が将来の自分自身の体を作ること、健康のもとになることを学び、自分の体に必要な食べ物を必要な量選べる力を身につけ、塩分が多いとか野菜が少ないなど自分にとって健康的な食生活かどうかを考える力を育むことが大切になります。

重点項目:「健康寿命の延伸につながる食育の推進」の目標

①食育に関心を持っている国民を増やす。
②生活習慣病の予防や改善のために、ふだんから適正体重の維持や減塩等に気をつけた食生活を実践する国民を増やす。

 

(3) 世帯構造や貧困の状況にある子どもに対する食支援

 農林水産省の食育に関する意識調査報告書(平成29年3月、有効回答数1874名)によると、1日の全ての食事を一人で食べることが「ほとんど毎日」と回答したのは13.2%で、性年代別では20歳代の男性、70歳以上の女性の4人に一人でした。そのことをどう思うか聞いたところ、若い世代(20~39歳)の男性では「自分の時間を大切にしたいため、気にならない」、70歳以上の女性では「一人で食べたくないが、一緒に食べる人がいないため、仕方がない」を挙げた人の割合が高くなっていました。世帯構造や社会環境の変化などにより、子どもや高齢者の孤食が増え、個人や家族だけでは健全な食生活を実践することが難しい状況にあります。ひとり親家庭の子どもや貧困の状況にある子どもたちに対し、食事の提供を行うことが可能な居場所づくりが求められています。地域の大人と子どもが一緒に食事を作ることで、子どもは食材や栄養、調理の段取りを学ぶことができます。このような調理体験は食に関する知識や経験だけでなく、チームワークや協調性などコミュニケーション能力を高めることにつながります。

重点項目:「多様な暮らしに対応した食育の推進」の目標

①朝食又は夕食を家族と一緒に食べる「共食」の回数を増やす。
②地域等で共食したいと思う人が共食する割合を増やす。

 

墨田区における食育活動事例の紹介

 私が食育推進会議の委員長を務める墨田区では、区民、地域団体、NPO、事業者、企業、大学等の関係者が「すみだ食育goodネット」を設立し、行政と共に「すみだらしい食育文化」を育むまちづくりを目指して食育活動をしています。事例をいくつかご紹介します。

(1)すみだ街かど食堂:「みんなで食事を一緒に作って一緒に食べる」などの取り組みを「協食」とし、家庭や地域の交流を育んでいます。「協食」の機会を通してコミュニケーションを育み、生きる力を身につけ、生きがいの持てる食環境づくりを推進しています。子どもから高齢者まで多様な人々が一緒に食事を作って一緒に食べることを通してゆるやかなコミュニティを育む場となっています。月1回夕方、「カレーの日」という形で開かれています。子どもたちは大人に教わりながら材料を切ったり盛り付けを担当します。今後は、フードドライブ等も視野に入れ、区内で複数開催されることを目指しています。

(2)エコライフ講座:食品を無駄にしないことを主題とした「食育体験講座エコdeおいしいクッキング」を毎年実施し、食と環境のつながりについて学んでいます。お豆腐屋さんが「大豆を無駄なく食べよう! おからで作るクッキーと味噌」、パン屋さんが「余りパンで、簡単に作れるブラウニーのおいしいレシピ」を紹介し、楽しみながら環境に優しい生活(エコライフ)を上手にとり入れていくことの大切さを実感してもらうことができました。今後も地球環境を考えた暮らしが自然とできるような活動につなげていきます。

(3)すみだ農園:第一次産業がない墨田区で作物を栽培しながら、そのプロセスを通して「食で人を育む」ことを目的として活動を開始しました。児童館が中心となり、企業から提供を受けた加工用トマトの苗を育て、収穫し、みんなで調理して食べます。この取り組みを通じて子どもたちの食への関心が高まり、各家庭、近隣の住民、食品事業者、飲食店、企業、活動に関わる大学生等のコミュニティが育まれました。今後は、多様な人々が交流する機会として、この活動を地域に広げ、さらには加工用トマトを利用した食品開発へと結びつけていくという「夢」をもっています。

(4)すみだ青空市ヤッチャバ:墨田区には農家がいないことから、“生産者と区民(消費者)をつなげる”ことを目的として、農家等が農産物を直接販売しています。出店舗数は7~13店舗で、約50か所の地域とネットワークを結び、毎週土曜日に旬の農産物を提供しています。この取り組みが面白いと50人の若者が区内に移り住んできました。その他、児童館などと協力し、子どもたちを生産地へ連れて行き、宿泊体験や田植え体験等を行なっています。今後も他地域との連携を増やし、生産地と墨田区をつなぐことで災害時の食支援ネットワークへと役立てていきます。

(5)食育推進ネットワークを活用した災害時の食支援:「平時の食育推進ネットワーク」が「災害時の食支援ネットワーク」として機能することを視野に入れ、「すみだらしい食育」を推進しています。災害時に食への配慮が必要な乳幼児から高齢者、アレルギー、疾病、食べる機能、宗教・思想などへの食支援を着実に行う災害時食支援ネットワークを構築し、災害対応力のある食環境づくりをしています。自分の命を守るための受援力や災害時に食への配慮が必要な方への理解と支援のポイントなど冊子を作成し、様々な機会を活用して普及啓発しています。首都防災ウイークなどのイベントで、備蓄品や食物アレルギー対応の食品の紹介、口腔ケア講座や誤嚥性肺炎予防のための「とろみ調整食品」の体験などを行っています。

 

食育がめざすもの

 食育というと「食教育」という狭義の理解となりがちですが、すみだの食育では「育」に光を当て、食で「人を育む」という視点を大切にしながら活動を進めてきました。この視点は、国民運動をめざし多様な主体の参加と協力を得ながら進めていくとした「食育基本法」の理念の実現につながると考えています。

【参考】 墨田区食育推進計画(平成29~33年度)

 

 


◆プロフィール◆

長澤 伸江(ながさわ のぶえ)        (1952年生)

 東京都墨田区生まれ。日本女子大学食物栄養学科卒業、管理栄養士。名古屋大学大学院博士(医学)。十文字学園女子大学人間生活学部食物栄養学科教授。専門分野は公衆栄養学。日本栄養改善学会、日本食育学会、日本母性衛生学会所属。

 2008年から新座市健康づくり協議会副委員長、2010年からすみだ食育推進会議委員長など、行政と共に住民の健康づくりや食育推進活動に携わる。2015年、内閣府の指名を受け墨田区で開催した「第10回食育推進全国大会inすみだ2015」の大会実行委員長を務めた。すみだ食育goodネット理事。

(『CANDANA』270号より)


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