大島希巳江(神奈川大学国際日本学部国際文化交流学科教授/英語落語家)
1)ユーモアの役割
「ユーモア学」と日本語で表記すると、見慣れない言葉かもしれない。英語ではHumor Studies として国際的に認知されている学問の一つである。日本でユーモア学がなかなか浸透してこなかった理由は、異文化コミュニケーション学の需要が低かったことにも関連していると考えている。近年でこそ、グローバル化や国際化が叫ばれ企業でも教育現場でも国際力やコミュニケーション力の向上を目指す傾向が強くなり、それに伴い異文化適応力やユーモア力も求められるようになってきた。ここ10年ほどで企業での海外赴任に適する人材の条件も、語学力第一ではなくコニュニケーション力とユーモアのセンス、と変わってきた。
異文化コミュニケーション力や異文化適応力がなぜユーモアに関わってくるのか、というとそこにはいくつかの共通するスキルがあるからである。異文化適応能力やユーモア力のある人材には柔軟性、多様性、創造力に長け、チームワークがよく、ストレスをためにくい、といった特徴がある。さらにユーモアのある人はリーダーシップがあり、好意的な姿勢で人に接することができ、逆境に強く、問題解決能力が高いということが研究の結果わかってきている。こういった能力は多文化環境において発展しやすい。アメリカやオーストラリアといった移民社会、つまり多文化・異文化接触の多い社会の人々がジョークをよく言う陽気な人たちである、というステレオタイプ的なイメージが強いのには、このような背景があると考えられる。普段から言語も文化も異なる人々がなるべく衝突を避けながら共存していこうと工夫しながら生活しているわけであるから、当然、異文化間でのコミュニケーション能力は高くなり、そのための研究もすすめられる。異文化コミュニケーション学やユーモア学が最も発展しているのは、やはりそれらの需要が高いアメリカやオーストラリア、そして多くの国々が接触しているヨーロッパである。
私自身、異文化コミュニケーションを研究している時にユーモア学に出会った。1994年、大学院生であった私は東京で催されるある学会の手伝いをしていた。海外から多くの訪問者が来ていたが、その中でもイギリスから有名な出版社の編集長がいらっしゃると言うことで彼女のお供をするという仕事を賜っていた。彼女は仕事に厳しいことで知られており、また写真からも威厳のありそうな雰囲気であったため、20代前半で何かと仕事経験の浅い私は緊張していた。その彼女との最初の仕事は渋谷を案内することであった。彼女にとっては初めての日本、日本語も話せないし全く勝手のわからない場所である。にもかかわらず、気が利かない私は渋谷駅のハチ公前を待ち合わせ場所に指定した。8月初頭の午前11時という、これまた東京の猛暑直撃のタイミングである。しかも学会の準備に追われていたために、私は15分近く遅刻して渋谷に到着した。怒っているだろうか、困っているだろうか、もういないのではないか、不安と恐怖で冷や汗をかきながらハチ公前まで猛ダッシュ、到着した時には汗と半泣きの涙目でボロボロであった。果たして彼女はそこにいた。ハチ公の真横で仁王立ちした彼女はハチ公よりも大きく見えた。心なしか彼女の周りは半径2メートルほど誰もいない。角の尖った赤いメガネに真夏の太陽の光があたりギラギラと光り、それは恐ろしい光景であった。とにかく例え殴られても(そんな訳ないが)謝るしかない、と覚悟を決めて彼女の前に立ち、平謝りした。いつまでも頭を上げない私に、彼女はこう言った。「あなたが遅れて来てくれて本当によかったわ。」顔を上げて彼女の顔を見ると、大きな笑顔を見せて「あなたを待っている間になんと3人の男子高校生にナンパされたのよ。おしゃべりして楽しかったわ!」と言い放ったのである。しばらくポカンとしてしまったが、ようやくそれがジョークであることに気がついた。まさか彼女をナンパしようなんていう度胸のある高校生が昼間っから渋谷をうろついているとは思えない。汗でグショグショ、息も絶え絶えで謝る私を可哀想だと思ったのだろう。「気にしなくていい」と言っただけでは私を安心させるには足りないと感じたのだろう。彼女はジョークでも言って笑わせてあげようと思ったのである。のちに、ユーモアは思いやりである、というユーモア論の話を聞くことになるのだが、この時のエピソードを思い出しては本当にそうだと思ったものである。
彼女と私は年齢、職種、立場、言語、文化、ほぼ全てにおいて異文化の持ち主同士である。女性であるというくらいしか共通点がない。このような異文化コミュニケーションの場面で、初対面でアイスブレイクのジョークを言い合うことは多文化社会ではコミュニケーションスキルの一つである。相手の文化背景がわからない時は、悪気ない一言が相手にとって失礼かもしれないし怒らせてしまうかもしれない。そういったことがわからないからこそ、初対面で相手にとって自分は敵ではない、好意を持って接しようと思っている、という姿勢をユーモアを持って示すのである。人は自分を笑わせてくれる人を好きになる。自分を笑わせてくれる人はいい人だ、と感じる。これは普遍的な現象である。やはりユーモアは思いやりだからである。このエピソードでも、彼女はジョークを言う必要はなかった。しかし彼女がいい人だから、思いやりを持って可哀想な大学院生を笑わせてあげようとしたのである。その後もずっと私は彼女のことが大好きであるし、いい人だと思っている。仕事には確かに厳しい人であるが、何か手伝えることがあれば飛んでいってサポートしたいと思っている。
笑いやユーモアは、敵をつくらず味方を増やす、と言われている。人は笑わされることによって攻撃性や敵対心を失う。よくスピーチやプレゼンテーションでも多文化社会の人々はユーモラスな話やジョークを挟みながら話す。日本でも人前で話すことに慣れている人は上手に笑いをとりながら大事な内容を伝えることができる。これは、話している内容や話している人に対して聴衆が敵意を持たないようにするには大変有効である。スピーチの後に厳しい質問や意地悪なコメントを受けなくて済むのである。こういった笑いやユーモアの効果はビジネスの場面でもよく利用さる。
2)ビジネス・職場におけるユーモア
職場も異文化接触の多い場所であり、多くの人が長時間過ごす場でもあるのでユーモアを有効に使おうとする傾向が近年上昇している。ユーモアのある人材は先述しような特徴を持つため、昇進が早く高収入である傾向が強い。ストレスを溜めないので健康を維持し、人間関係を上手に円滑に保つことができるため、リーダー的存在になることが多い。また、ユーモラスなアイディアは多くの困難な問題を解決するきっかけとなる。アメリカやオーストラリアにはユーモアコンサルタント、というユーモアに特化したコンサルティング会社がいくつもある。普通のコンサルタントでは解決しない難問にユーモアを持って取り組む組織である。
例えば、とある銀行では窓口係員が皆とても仲が悪く、雰囲気が悪いという問題を抱えていた。お互いに助け合おうという気がないので、嫌な客や面倒な顧客が来ると互いに押し付けあうし、サービスも愛想も悪いので評判も良くない。普段から会話をしないので係員同士の情報共有が少なく、ミスも繰り返された。この銀行が問題解決に向けてユーモアコンサルタントに相談したところ、提案されたのが「週間最低顧客コンテスト」である。毎週金曜日の午後3時に銀行を閉めた後、1時間だけ窓口係員が全員集まって、その週担当した一番嫌な客についてそれぞれが話す。その中で最低だと思われる客を担当した者を投票で決め、その人がその週の勝者となる。勝者はその場で賞品としてシャンパンを1本もらえる。このコンテストは非常に有効で、結果的におおよそ1ヶ月間4回ほど行っただけで当初の問題が解決してしまったので、それ以上コンテストを開催しなくて済んだと言うことである。まず、これまで会話をしてこなかった係員同士が話し合うことで他の係員がいかに嫌な客で苦労しているかということを初めて知る良い機会となった。お互いに同情をし、同じ客を担当すれば共感をし、コンテストで笑いが生じるようになった。笑い合うことで敵対心がなくなり、お互いに好意を持つようになる。そして嫌な客という共通の敵を持つことで、係員同士は仲間であり敵ではないということを改めて確認できるようになった。こうして連帯感とチームワークを徐々に高めていくことができた。さらに、最低な客を担当すればシャンパンがもらえることから、係員たちは普段の仕事でも面倒な顧客に積極的に声をかけ進んで担当するようになっていった。顧客をたらい回しにすることなく、笑顔で接客をし、互いに助け合うようになった。これまで普通の解決策ではなかなか解決しなかった問題が、このユーモラスなコンテスト4回、かかったコストはシャンパン4本分だけで、すっかり解決したのである。しかもこの効果は長く続くことが期待できる。
ユーモラスであるということは、必ずしも大笑いすることとは限らない。ユーモアの定義の一つに不調和理論というものがある。ユーモアとは「その社会常識や規範の中で期待される言動からの逸脱」であるとされている。通常期待される言動や結果が裏切られた時、人はそれをおもしろおかしく感じるものである。そしてそのような常識の枠の外で考える常識にとらわれない考え方は、逆境に強い精神や誰も思い付かないような問題解決策を絞り出す能力を養うのである。このようなユーモアの特徴を理解して、ユーモアを企業文化として取り入れている会社も増えてきた。特によく知られているのはアメリカのサウスウェスト航空である。
サウスウェスト航空では、ユーモアのある人材を最優先して採用している。危機的状況において柔軟に対応できる人材、パニックに陥らずストレスを溜めない人材、楽しいと思える職場環境を作れる人材、の3つを重視している。飛行機を飛ばすということは常に危険と隣り合わせであり、命懸けの仕事である。だからこそいざという時に神経質でパニックを起こすような乗務員では乗客の命は守れないと考えている。良い例えがある。ある時サウスウェスト航空の旅客機の飛行中に、エンジンに渡り鳥の群れが飛び込んだことがある。これにより4つあるエンジンの一つが故障、動かなくなってしまった。これは飛行中よくあることで、避けられない事故だという。そんな時、普通のパイロットは傾いた飛行機をなんとか操縦して最も近くの空港に非常着陸させるらしい。斜めになったまま、翼を引きずりながら上手に着陸させるのがパイロットの腕の見せ所といったところかもしれない。ところが、サウスウェスト航空のパイロットはちょっと違う。エンジンが故障したと聞いた途端、大笑いして「じゃあ、反対側のエンジンを一つ切ろう」と提案したのである。出力は低くなるものの、飛行機は水平を維持するので乗客の不安は取り除ける。近くの空港に緊急着陸することは変わりないが、水平を保っているので翼を引きずることなく通常通りの着陸が可能になる。緊急事態においてもパニックに陥らず、落ち着いて普通は思い付かないような解決策を出す。そしてそれが必死に斜めの飛行機を着陸させようとするストレスやリスクから乗務員と乗客を解放することになったということである。
現在では多くの企業や公共サービスなどがユーモアコンサルタントを利用している。特に警察署や消防署、病院といった職場はストレスが多く働いている人々の精神も病みやすい。そのような職場こそ、ユーモアが必要とされており、ユーモアコンサルタントが大いに活躍している場でもある。日本ではまだユーモアの土壌ができていないため、少々難しいかもしれないが、近い将来その需要はあると思われる。
3)英語落語の海外公演
さまざまな側面からユーモアと笑いそして異文化コミュニケーションの研究をしてきたが、その実践として1997年から行ってきたのが英語落語の海外・国内公演である。海外での日本人のステレオタイプ的なイメージは、真面目で几帳面で勤勉、ただし笑わない、ジョークを言わない、面白くない、という側面も指摘される。これを覆すのはなかなか難しい。所詮ステレオタイプなので、全ての日本人がそうではないことは周知の事実であるし、実際のところ多くの日本人は世界中の誰もがそうであるように笑うことが大好きである。しかしこれを証明することは大変に難しい。そこで始めたのが落語を英語に翻訳し、海外で演じるという実践である。最初は若手の落語家に英語に訳した落語を覚えてもらって演じてもらったが、やはり英語で覚える落語には数の上でも限度がある。今でこそ英語に堪能な落語家が数名いるが、当時は「英語が話せたらそもそも落語家になっていない」と口を揃えて若手落語家が言っていたように、確かに英語を話せる落語家はいなかった。海外でパフォーマンスするならバランス上女性もいた方がいいという事情も絡み、私自身も落語家について落語を勉強し、高座に上がるようになった。
英語落語の公演を通じて、ユーモアの有効性を実感するとともに、新たな発見をすることも多かった。ユーモアが有効であると感じたのは、どこの国でも公演先で観客が“Thank you, Japanese are funny! Japanese are good people!” “We love Japan!”などと声がかかる時である。これまで日本人を一度も見たことがなかった、全く日本に興味がなかった、という数百人、数千人の人々が英語落語を見て、日本が好きになった、日本人はいい人たちだと知った、と感じてくれている。これは「笑いは敵をつくらず味方を増やす」というユーモアの効果の表れではないだろうか。世界中に親日派を少しづつ増やしていると思うと、世界との友好関係に少しでも貢献できているのではないかと思う。特にこの10年ほどは意識して現地の小学校や中学校に出向いていって英語落語を鑑賞してもらう機会を作っている。子供の頃に英語落語を見て、日本人って面白いな、いいな、と思ってくれたら、このような親日感情は子供たちの心に定着するのではないかと思う。いつかこの子供たちが将来何かのきっかけで日本や日本人と衝突するような事態に陥ったとしても、きっと「いやいや、日本人はそう悪い人たちじゃないよ」と言ってくれるのではないか、と密かに期待している。時々、大学の私の研究室に海外からの大学生が訪ねてくることがある。「10年前にドイツで大島先生の英語落語を見ました。それで日本文化に興味を持って、日本語も勉強して、今、日本の大学に留学しています!」などと言って来てくれるのである。それもかなり様々な国から来てくれる。これは大変に嬉しいことである。
国内でも英語落語の講演会を行うが、中でも中学校や高校での公演が多い。生徒たちからは、落語のような伝統的な文化を海外に発信してウケるということが驚きである、意外に日本の古いものって海外では自慢できるものなのだと知った、と言った感想が寄せられる。日本の伝統文化に誇りを持ってくれれば嬉しく思う。
やはり英語落語公演の大きな目標は、「日本文化の発信」と「世界との友好関係」である。日本文化を発信し紹介する術はたくさんあるが、好意的に理解してもらえるという点で落語の笑いは大変に有効であると思う。ちょっと違和感のある受け入れ難い日本文化という異文化でさえ、笑いながら聞いていると「まあそれも悪くないね」と柔軟に聞き入れてもらえるものである。また、大きなことを言うようであるが、世界の人々と一緒に笑いを共有することで世界平和への貢献をしていると実感している。理屈ではなく、自分を大いに笑わせてくれた目の前の日本人と日本文化を好き!と思ってもらえたら、そういった心のつながりが絆となって皆が友好関係を築いていけたら、そんな気持ちで英語落語公演を続けている。今後も異文化コミュニケーションとユーモアの研究を続け、職場やビジネスの場面そして落語の海外公演の場でユーモアの有用性を検証していきたい。
◆プロフィール◆
大島希巳江(おおしまきみえ)
1989年渋谷教育学園幕張高等学校卒業、1993年アメリカ合衆国コロラド州立大学ボルダー校卒業。青山学院大学大学院国際コミュニケーション学修士、国際基督教大学(ICU)大学院教育学、社会言語学博士。『日本の笑いと世界のユーモア』(世界思想社 2006)、『英語落語で世界を笑わす!』(共著:立川志の輔 2008研究社)、『やってみよう!教室で英語落語』(三省堂 2013)、その他多数。平成18年より中学校英語教科書New Crown に英語落語の活動家として掲載されている。
(『CANDANA』297号より)